〜美学の書き換え時〜
今日は、自分にとってかなり大きな一日だった。
15年来の友人に、思い切って鑑定をお願いした。
正直、僕はこういう時にあまり人を頼るタイプじゃない。
そもそも人を簡単に信用するほうでもないし、
聞きたくないことを言われるくらいなら、最初から相談しない。
ずっとそんなふうに生きてきた。
でも今回は違った。
人生とキャリアを本気で再構築しているこのタイミングで、
一度ちゃんと見てもらいたいと思った。
そして結果、延長に延長を重ねて、気づけば2時間。
それくらい、刺さる時間だった。
もちろん、いろんな言葉をもらった。
でも今日いちばん大きかったのは、
「当たってる」とか「すごい」とか、そういうこと以上に、
自分の中の美学が、静かに書き換わったことだと思う。
今までの僕には、どこかずっと
“ちょい悪”とか
“反骨”とか
“孤独”とか
“わかる奴だけわかればいい”みたいな匂いがあった。
それはそれで、ずっと自分を支えてきた美学でもあった。
実際、そういう熱や尖りや違和感があったからこそ、
ここまでやってこれた部分もある。
だから、過去の自分を否定したいわけではない。
でも今日、ある瞬間に、すべてが腑に落ちた。
もし尾崎豊が48歳まで生きていたら、
きっと同じ魂の純度を持ったまま、
でも27歳の頃とは違う色を出していたはずだ、と。
あの頃の叫びも、痛みも、反抗も本物。
でも生き続けたなら、
その魂はきっと、知恵や深みや包容力に姿を変えていたと思う。
それを想像した時、
「ああ、自分もそうなんだ」と、すごく自然に思えた。
大事なのは、若い頃の魂を捨てることじゃない。
昔の自分を裏切ることでもない。
ただ、今の自分に合う表現方法に、ちゃんと着替えることなんだと。
他の言い方をするならば
史上最高にこだわって作った料理
100均の紙皿にのせたら、似合うか?
別に紙皿が悪いわけじゃない。
気軽で便利だし、それが合う料理もある。
でも、時間も手間も想いもかけて作った一皿を置く器として、
本当にそれが合っているのかと考えたら、答えは明らかだった。
その瞬間に、いろんなことがつながった。
これは
「真面目にしろ」という話じゃない。
「地味にしろ」という話でもない。
ただ、
その表現方法、今の自分に合ってるか?
という話なんだ。
中身はもう、とっくに変わっていたのかもしれない。
経験も積んだ。
痛みも通った。
人を守りたいとか、知恵を渡したいとか、
そういう気持ちも前よりずっとはっきりしてきた。
なのに、見せ方や空気感だけが、
昔のまま少し置き去りになっていたのかもしれない。
一人時代遅れってやつですかね(笑)
今日の鑑定で言われたことを、
全部ここには書けないけれど
でも、ひとつ確信したことは
これから自分が前面に出していくべきものは、
反骨や尖りではなく、
知恵だということ。
人を導くこと。
人を守ること。
弱っている人や、困っている人に、
実用性のある知恵を渡すこと。
今までの経験の全部が、そこにつながっていく。
たぶん、これからは
反発や葛藤を燃料にして進む時代を、少しずつ卒業して
今の年齢と役割にふさわしい形で表現していけと
もっとやわらかく、もっと品を持って、
それでも本質は鋭く、
そんな在り方を目指せと言われた気がした。
ちょい悪ベジ男を卒業して、
ここから10年かけて、
まさかの知恵ある発酵紳士?!(笑)を目指しますか。
半分冗談みたいだけど、
いや、むしろ本気だからこそ、少し笑いながら言いたいのかもしれない。
いますぐできることとして
今日、LINEの写真も全部変えてみた。
小さなことだけど、自分の中ではかなり大きい。
これは単なるアイコン変更じゃなくて、
「どういう器でこれから立っていくか」を、自分で決め直したということだから。
人生の再始動って、
何か新しいことを始めるこというよりかは
今の自分に合わなくなった表現や美学を、
ちゃんと見直すことでもあるんだと思う。
ということで
今日の気づきを忘れないように!
しっかりもう一度残しておきます。
その器、その料理にあってるか?
これからしばらく、
僕の大事な問いになりそうです。