諦めることは、悪いことじゃない

諦めることは、悪いことじゃない

今日、そんなことを思った。

え?
と思うかもしれないけれど。

以前、ある尊敬する高齢のご夫婦に聞いたことがある。
「50年近く夫婦円満でいられる秘訣は何ですか?」と。

その時、奥様がおっしゃった。
言葉そのものは正確には思い出せないけれど、たしかこんな意味だった。

あまり期待せんことやなあ。
仕方がないと、諦めることや。

怒っても、しゃーない。
仕方がない。

その言葉が、ずっと心に残っている。
今になって、あれは本当に深い言葉だったのだと思う。

人生前半の僕は、
「最後まで諦めない」
を学ぶ時間だった。

それが最上級で、
それこそが正義だと信じて疑わなかった。

もちろん、それはそれで大切な学びだったと思う。
諦めずにやり抜くこと。
投げ出さないこと。
信じて進み続けること。

それらは確かに、人生を切り拓く力になる。

でも今、人生の後半で学ばされているのは、
むしろ逆のこと

諦めるという学び。

それは、自分に対してもそうだし、
相手に対してもそう。

何度言っても無理なんやな、なんともならんな、と思うことをとおして、

諦めることを学ぶ時間になっている。

昔の僕なら、そこでむきになっていたかもしれない。
なんとか変えよう、わかってもらおう、動かそうとしていたと思う。

でも今は、
人は思い通りにはならないということを通して、
ある意味、諦めることを学ばされている気がする。

一見すると、
それは歳をとって丸くなったとか、
老いたとか、
少しネガティブにも聞こえるかもしれない。

でも、実は逆で、
そうすることで、とても軽くなっている自分がいる。

「何がなんでも諦めない」は、
たしかに素晴らしい面もある。
でも一歩間違えれば、
それは執着にもなるし、
支配のエネルギーにもなりうる。

諦めること。
許すこと。

そうすることで、
いい意味で緩む。
そして、もっと大きな受容の感覚が生まれる。

逆に言えば、
そうならないと、安らかになんて眠れない。
人生の後半とは、
自分の夢も含めて、少しずつ手放していくプロセスなのかもしれない。

何を叶えるか。
それも大事。

でももしかすると、
何を諦めるか。
何を手放すか。
そこにこそ、より深い魂のテーマがあるのかもしれない。

いろんなものの限界を通して、
今日はそんなことが降りてきた。

でも、不思議と気持ちは軽い。

だからこそ、
もっとおおらかに夢を追えそうな気がしている。
むしろ、少しワクワクしている。

筋肉も、力みすぎるより、
緩んだほうが結果的にいいパフォーマンスが出ることがある。

人生も、きっと同じなんだろう。

力を抜くこと。
諦めること。
許すこと。

それは敗北じゃない。
もしかすると、
次の自由に向かうための、大事な学びなのかもしれない。

人生前半で学ぶ、諦めない力、ネバーギブアップ。

人生後半で学ぶ、握りしめない力、ネバーホールドオン

こんな感じでしょうか。

 

続。