所有か?共有か?

ちょっと、昨日のブログの続き…

というわけでもないけれど

 

人間って

人に「命令」されると

「地獄」だと思えることも

 

自分みずからの「気づき」だと

「悟り」みたいに感じることって、あるよね。

 

例えば。

 

「あなたは何も所有しない。

そして幸せになる。」

 

この言葉を聞いて、

ざわっとした人は多いと思う。

 

言ったのは、あの

クラウス・シュワブ。

 

正直

今でも思うところはある。

 

管理社会だとか

世界新秩序だとか

警戒心が湧くのも、まあ自然だ。

 

でもここで一度

立場や好き嫌いを外して

言葉そのものだけを見てみたい。

 

所有が増えるほど、

守るものが増える。

 

守るものが増えるほど、

失う恐れが増える。

 

恐れが増えるほど、

人は自由じゃなくなる。

 

これは思想というより

かなり単純な

人間の構造だと思う。

 

だから

シュワブさんに言われると

「所有」を否定された気がして

反発したくなるけど

 

言葉だけを

フラットに見てみると

 

……ごもっとも

 

とも思ってしまう。

 

もちろん、

その背景には

いろんな「思惑」があるだろうし

 

誰が得して、

誰がコントロールする構造なのか・・・

とか考え始めると

まじでキリがない。

(“支配者層”って言葉は使いたいけど、

今日はやめとくけどw)

 

でも

「所有は許されません」

と外から強制されたら

それは剥奪で、支配で、地獄。

 

一方で

 

「何も持たないほうが

案外、自由で幸せかもね」

 

と、自分の内側から

自然に辿り着いたなら、

同じ結論でも、

意味はまったく違う。

 

 

これから世の中が

どう転んでいくのかは分からない。

 

ただひとつ確実なことは

僕は「強要」されるのが

あまり好きじゃない、ということ。

 

もし

所有することが

少しずつ当たり前じゃなくなる

流れに抗えないのなら

強制される前に

自分から

 

どんどん手放していったほうが、

案外「楽」なのかもしれない。

 

そういえば、

ジョン・レノンの

「Imagine」の歌詞だって

 

No possessions

(所有のない世界)

を描いていたよね。

 

どっちが正解、

という話じゃない。

 

多分、宇宙の流れって

どちらかに偏りすぎると、

反対側へ

バランスを取りにいく

シーソーみたいなもの。

 

今は、富が偏り、

持つ人がさらに持つ時代。

 

所有権争いで

ギスギスした空気や

どう考えてもおかしい案件がゴロゴロしてる。

 

そう考えれば

 

陰謀があってもなくても

支配者層と言われる人たちの

別の意図があってもなくても

 

流れとしては

そっちへ向かうのが

自然の摂理なのかもしれない。

 

そういえば2006年に

僕はアメリカから帰国したとき

 

これからは

全部シェアする時代が来る!

そのほうがゴミが増えなくていい!!

 

そう言って、元奥さんに

捨てられるビニール傘を見ながら

シェア傘のビジネスを

本気で考えてプレゼンしたことがあった。

 

結局、

ノウハウも、

勇気も、

知恵も足りなくて、

実現はしなかったけど

 

そこまで真剣に「シェアビジネス」を

20年前に思いついていながら

 

結局僕はその後

中途半端に資産を持ったことで(もうないよw)

コロナをきっかけに

いろんな情報に右往左往して

 

資産防衛だの何だのって、

それなりに必死になった時期もあった。

 

……ほんと、人間って面白いというか、

まあまあ浅くて、まあまあ深い(笑)

 

一時は

ビビりながら色々対策して、

「備えなきゃ」「守らなきゃ」って

頭フル回転させてたんだけど

 

最近は、まじで思う。

 

どーでもよくね?

畑で野菜作れれば(笑)

 

自分の魂の経験以外の財産って、

どうせ地球を卒業するときは

持っていけないわけだし。

 

唯一、非課税で

没収もされない投資があるとしたら、

それはたぶん、自己投資。

 

もっと軽く言えば、

どれだけこの地球で

いろんな経験をするか、ってこと。

 

結局、

魂の「思い出アルバム」しか

残らないなら

 

まあ、もう

 

シェアでも

所有でも、

……どっちでもいいか(笑)