応援していた2人が、
ファスティングの大会で
揃ってグランプリと準グランプリを獲得した。
いやもう、ほんとに嬉しい。
もちろん、
自分がスキンケアの大会で
準グランプリを取ったときも嬉しかった。
それはそれで、努力が形になった喜びだし、
達成感もある。
でも、何度体験しても思う。
応援していた人がその場所に立つ喜びは、
何倍も大きい。
これはファスティングに限らない。
ビジネスでもまったく同じ。
自分が結果を出すのも嬉しい。
でも
自分が信じてきた人、
応援してきた人、
可能性を感じてきた人が
花開く瞬間を目の前で見る喜びは、
ちょっと種類が違う。
レベチってやつです。
これは一体、なんでなんだろう?
ちょっと考えてみた。
それはたぶん
理由はいくつかある。
まず、自分の喜びに
相手の喜びがそのまま上乗せされるからだと思う。
自分が受賞するときは、
自分の努力
自分の結果
自分の達成感。
もちろんそれは大きい。
でも、応援していた人が受賞するときは、
そこに相手の努力、
葛藤、成長、涙、喜びまで
全部一緒に入ってくる。
つまり
感情の総量が増える。
自分一人分の喜びじゃない。
そこに、相手の人生の一部まで重なってくる。
だから、喜びが何倍にもなる。
そしてもうひとつは、
その人の結果によって
自分の信じてきた感覚まで
報われたように感じるからではないだろうか。
「この人はいける」
「この人には可能性がある」
そう思って
見てきた。
信じてきた。
応援してきた。
その感覚が、
現実として形になる。
すると、
相手が報われるだけじゃなく、
その人を信じてきた自分の感覚も
どこかで報われる。
だから
相手の受賞なのに
自分の魂まで救われるような感覚があるのだろう。
さらに言うと
人はたぶん
自分だけが勝つこと以上に
自分が大切に思っていた誰かが輝くことで
深い魂の充足を感じる
そんな生き物なんじゃないかと思う。
人の才能が開く瞬間や
誰かの変化や成長は
「自分が勝った」という喜びよりも
“この人がここまで来たか…”
と、深く刺さるのかもしれない。
ビジネスも同じ。
自分の数字は、
ある意味、自分の結果。
でも、応援してきた人の結果は、
自分ひとりの成果ではない。
そこには、
関係性があり
信頼があり
時間があり
見えない積み重ねがある。
一緒に悩んだこと
励ましたこと
信じたこと
待ったこと
見守ったこと。
そういうもの全部が、
ある日ひとつの結果として花開く。
だから、ただの成果じゃない。
物語ごと報われる。
それが、
自分の結果以上に
胸を打つ理由なんだと思う。
自分が輝くのも嬉しいが
自分が信じた人が輝くのを見ることは
その瞬間に
自分の存在意義みたいなものまで
感じてるのだろう。
「この人を応援してきてよかった」
「この人を信じてきてよかった」
「自分がここにいた意味があった」
そんな感覚が
一気に押し寄せてくる。
今回もまさにそうだった。
応援していた2人が、
揃ってグランプリと準グランプリ。
その景色を見ながら、
あらためて思った。
やっぱり人は、
自分が輝くこと以上に、
自分が信じた誰かが輝くことで
深く満たされることがある。
これからも、
自分が結果を出すことはもちろん大切にしながら
それと同じように
人の可能性を信じて
人が花開く瞬間を
一緒に喜べる自分でいたい。
そんなことを、
しみじみ感じた一日だった。