人はなぜ無になれないのか

昨日のブログの続き。

 

畑で無音作業をしていて

ふと思ったのだが

 

「無になる」って

よく聞くけど

これってつまり

どういうことなんだろう?

 

少し気になって

調べたり考えたりしてみた。

 

結論から言うと

・お経

・坐禅

・念仏

・呼吸法

 

こういうものは

かなりの部分が

「無(無心)」に近づくための技術

と言われているらしい。

 

ちょっと整理すると

こういう構造。

 

人間は、

放っておくと考え続ける

 

脳科学の世界では

人間は

何もしていない時でも

 

1日に約6万回

思考している

 

と言われている。

 

しかもその多くは

・未来の不安

・過去の反省

・人間関係

 

つまり

雑念。

 

だから

何も考えない

というのは

実はかなり難しい。

 

だから昔の人は仕組みを作った。

 

いきなり

「無になれ」

と言われても

ほとんどの人は無理。

 

そこで昔の人は

いろんな方法を作った。

 

例えば

坐禅

呼吸に集中する

お経

一定のリズムで声を出す

念仏

同じ言葉を繰り返す

祝詞(のりと)

音のリズム

 

こういうものは

全部

思考を静かにするための装置

とも言われている。

 

実は

農作業も

かなり近い構造らしい。

 

草むしり

木の剪定

土いじり

同じ動き

単純作業

リズム

 

こういうことを続けていると

脳の雑念が

だんだん静かになってくる。

 

つまり

無理に無になろうとするのではなく

結果として無に近づく。

 

禅の世界には

こんな言葉があるらしい。

 

「無心になろうとするな」

 

無理に無になろうとすると

逆に考えてしまう。

 

だから

掃除

作務(さむ)

庭仕事

身体を使う作業をする。

 

そうすると

気づいたら

余計な思考が

だんだんなくなっていく。

 

つまり

無は作ろうと思って

到達できる境地ではない。

 

自然と

整うものなのかもしれない。

 

これ、昨日の畑と

かなりつながる。

 

虫の鳴き声

風の音

シャベルの音

贅沢な

無音オーケストラ。

 

僕の体から畑に向かう理由は

無意識に

 

無になること

 

の心地よさの

とりこになってしまったからなのかも。