人の数だけ正義がある

正義感という言葉に

どんな印象を持っている人が多いのだろう。

 

肌感覚だけど

どちらかと言えば

いいイメージ?

 

正義感の強い人って聞いて

ゲーっ 最悪ー!

っていう言葉はあまり聞かない気がする。

 

僕も、ちょっと前までは

「俺、チャラそうに見えて、結構正義感強いほうなのよね〜」

なんて言ってた記憶もなくもない。

 

ただ

 

仕事のことで色々と迷っていた時だろうか

 

ちょうど2年前くらい

 

天から声が降ってきた
(いつものヤツですw)

 

正義感はいらない

 

え?

今なんて言いました??

 

一瞬、どゆこと?? と思ったのも覚えている。

 

正義感はいらない・・・

 

もちろん

いろんな受け取り方があると思う。

 

ただ

 

あまりにも

 

その時の自分にはドンピシャで

 

はっ!!!

 

っとする言葉だった。

 

正義って

本来は

人を守るためのものだと思う。

 

でも不思議なことに、

正義を強く握った瞬間から

実は

世界は分断し始めるのも確か。

 

それは

「こっちが正しい」

「こっちのほうが正解」

という言葉が生まれた瞬間

 

同時に

「間違っている誰か」

が必要になるから。

 

敵がいないと

実は正義は成立しない。

 

わかりやすいところだと

 

陰謀論も、

政治も、

宗教も、

SNSの炎上も

 

構造は同じ。

 

いつも

 

正義 vs 正義。

 

どちらも

「守りたいもの」がある。

どちらも

「恐れているもの」がある。

 

だから、

争いの本質は

善悪じゃない。

 

視座の固定だ。

 

「自分は正しい場所に立っている」

 

そう思った瞬間、

視点は動かなくなる。

 

そして

正義って、

持ち続けると

どんどん重くなる。

 

なぜなら

修正がきかないし

後戻りできなくなりやすい。

 

一方で、

自由な視点ってこうだ。

 

「今は、こう見えている」

 

「もしかしたら、違う角度もある」

 

「案外、自分の写し鏡? 投影??」

 

これは弱でもなんでもなく

とても大事な柔軟性だったり

可動性だと思う。

 

正義を手放す

というと

無責任に聞こえるかもしれない。

 

でも実際は逆。

 

正義を「仮置き」できる人ほど

世界を壊さないのかもしれない。

 

もし、「敵」のようなものが見えたら、

一度立ち止まって

「これは本当に敵か?」

「それとも、自分の恐れの投影か?」

 

この一瞬を持てるだけで

分断を止めることは難しくないはず。

 

世界が分断して見えるときは

たいていは

自分の中の方が

もっと分断している(笑)

 

正しい自分と

否定したい自分。

 

そう言えば

今は亡き、僕の尊敬する方が

いつも仰っていた。

 

人の数だけ正義がある

 

と。

 

最近、農作業のせいで腰痛が・・・と思ってたけど

 

もしかして

まだ残ってる いらない正義感が

腰痛の原因だったりして(笑)